【取材】西川美和監督インタビュー

2016年10月、『永い言い訳』(16)の西川美和監督に学生ライターとして取材。北海道アルバイト情報社のWEBサイト、SNSに学生向けのインタビュー記事として掲載しました。ちなみに、矢武企画初の取材でした。

以下、当時の掲載原稿。

「実は恋愛成就の後が⻑いでしょ? 私は“その後”が描きたい」

改めて⻄川監督の過去作を観てみると、⽢くてハッピーな恋愛が描かれてないなと思いまして・・・。シビアな恋愛感覚をお持ちなのかな?と。

アハハハハ(笑) あまくてハッピーな恋愛は私がやらなくても、上⼿い⼈がたくさんいらっしゃるので、その⼈たちにお任せしようと(フフフな笑み)。私は“成就のその後”を描きたいんですよね。(恋愛は)右肩上がりの展開のその後が実は⻑いでしょ? 例えば、50 年かけて成就したカップルの話だったらやってみたいかもね! 今回もそうなんですけど、〈崩壊〉や〈喪失〉ってビビッドじゃないですか。センセーショナルだし、非情に映画的な仕掛けになるんだけど、実はその後が⻑くてとても平坦で変化がなくてツラい、という・・・。そろそろ⾃分の年齢的にも、崩壊のビビットさではなく、“緩やかな坂道”を描こうと思いました。

『永い⾔い訳』は⼩説を書くことからスタートし、「ムダな豊かさと時間を得た」とおっしゃっていました。監督ご⾃⾝は⾃分の⼩説を映画化するとき、⼩説と映画の違いをどう捉えていますか?

んー。限りなく、違うと思います。(⼩説は)時間と視覚、聴覚に縛られない。あとお⾦。⽬に⾒えない、⾔葉にもしないことをも、登場人物の心情に深く潜ることもできるし、鉛筆⼀本パソコン⼀台あれば、何百ページ何千ページの物語でも書いていけるし。「あーもうそろそろ、観客飽きてるなー」みたいなことにも拘らずに、いろんな展開をつくれること。⼩説の後半では陽⼀(演:⽵原ピストル)が⾃殺未遂事件を起こします。そのとき、行きがかりで⾃殺幇助のようなことをさせられてしまったデリヘルの女性の供述調書という書き⽅をしているんだけど、この展開は映画には流用出来ないと思いました。終盤で複雑な事件を起こし、新しいキャラクターを出すと、観客は情報処理に苦しむし、体内時計的にもしんどいはずと思いました。これも何作か撮ってきて気づいてきたことでもあります。

⼩説の⾃由さとは、表現としてだいぶ違いますね。⾔葉で語りうることのみで勝負するのが、⼩説の世界だと思うんです。片や映画の場合は、⾔葉に規定されないものを映すことが出来ます。⼩説の中に無いシーンとしては、夏の海のシーン。⼦どもたちと⼤⼈が、天気のいい夏の海で遊んでいる⾵景の幸福感を映像で切り取ることが出来れば、きっとそれは言葉の表現をしのぐと思ったので、その場面はあえて⼩説のほうでは書きませんでした。その中で、いるはずの無い夏⼦が⼀瞬だけ出てくるところを幸夫(演:本⽊雅弘)が⾒てしまうシーンがあります。あの夏⼦をどのように⾒るか。幸夫の主観で、⾔葉を使って綴って行くと限定的になるんですが、映像で台詞も何もなく観れば、観る⼈によって、愛おしく⾒えるかもしれないし、ものすごく怖く⾒えるかもしれない。解釈を受け手に委ねられる⾃由さが“映画の⾏間”だと思います。

確かに! 幸夫の視点で字に書けば、作者の答えを提⽰しているようなもんになるってことですね。

⾃由なようで限定的でもあるし、⾔葉というものに縛られる。映像は不⾃由なこと、上⼿く⾏かないことの連続で、思ったように撮れないことが多いけど、たまに色んな条件が重なり合うと、(映画が)⼩説よりも雄弁なものになる時がありますね。いろんな⼈のチカラが寄り集まってつくるものが映画だから、ギチギチに自分がコントロールしたものよりも、誰かの個性や失敗、自分の発想を⾶び越えてくれるものに委ねたシーンが、後からふり返ると良いものに感じられます。思い通りにはやってくれない子供たちとのシーンなど、現場では「上⼿く⾏かない!」と⾸をひねる連続だったけど、そういう場面ほど奇跡の瞬間が出ていたりします。

「映画はいろんな⼈がチカラを出しているから⾯⽩い」という⾔葉に共感します。最近は原作モノの実写化が多くて、お客さんもつい、原作と⽐べて観てしまいます。でも、原作は、作家さん個⼈のアイディアで、映画は何百⼈のスタッフがつくっているから、⼀緒になるわけないじゃん!って思ってるんです。

そうですね。焼き直しを⽬指すと、(出来が)悲しいことになっちゃう。多くのマンガは何十巻もあったりで、内容の厚みが凄まじい。ベストセラーの⼩説も分厚くて複雑な内容が多い。(映画にして)2 時間でなんとかしようとするのは至難の業だし、私もついつい「(原作に対し)勝ち⽬がない!」って思いますね。

今回の作品は⼈⽣の集⼤成になるとおっしゃっていました。助監督時代もありましたよね。それはバイトだったんですか?

助監督はバイトでないですよ。フリーで本業でしたから。学⽣の途中で始めたけれど。途中と⾔っても、4 年⽣の夏から就職活動を切り上げて、そっちに⼊っていったという。バイトもしてましたよ。仕送りだけだと、お⼩遣いも限られるし。あんまり、⻑続きしないけどね(笑)。コラエ性がないから3 ヶ⽉ぐらいで辞めちゃったのも多いです。
⼀番⻑く続いたのは2 年半ぐらいかな。当時住んでいた、中野区の小料理屋さんで、⼤将⼀⼈がやっているところ。本当に⼤将が何も⾔わない⼈で優しい⼈だったから続いた。ほんっとに、コラエ性がなくて、すぐ飽きちゃう。組織も苦⼿だし、決まり⽂句が恥ずかしくて言えなくて、ファーストフードさえ勤まらない。ダメ⼈間だから、私、ほんとに(笑)。
⼤学では写真部に⼊っていたんだけど、好きだったのは写真館のアルバイト。七五三で記念写真を撮りにきた⼦どもたちに向かってカメラの横でぬいぐるみを振ったり、秋の運動会にカメラ担いで写真を撮りに⾏ったりね。当時も何かしら作ることに興味はあったんでしょうけれど、映画監督になろうと思ってはいませんでしたよ。映画は共同作業で面倒そうだし、撮影機材も今みたいに良くないし、「⾃主映画なんかまっぴらだ」と思ってた(笑)。⼀⼈きりで、お金がなくてもそれなりのクオリティでつくれるものは写真の⽅かなと思って、やってみました。写真は“物⾔わぬ表現”で、奥深さや詩的な部分が豊かな表現だと思った。2 年半ぐらい撮り歩いて、カメラアシスタントもしたんだけど、でもその“⾔葉で表現しない表現”であることに行き詰まりを感じて、「私は写真じゃないんだな」と思って、映画(の世界)に⾏くことにしたんです。

⼩学⽣のときから映画を観るのは好きだったんですけど、映画業界に⼊っている知り合いはいないし、今より⽇本映画の景気が悪い時代だったから、発想として無いんですよね。でも、映画というものが凄く好きだったから。⾃分が⼀番尊敬しているものに従事したいなと思い、映画界の⾨を叩きました。是枝組に参加したのは偶々ですけどね。テレビマンユニオン(是枝裕和監督がいた番組制作会社)には不採用だったのだけれど、監督から「映画をやりたいんだよね?」と連絡が来て、フリーランスの助監督にしてもらいました。もしそのまま、制作会社に就職していたら、テレビ番組制作者になっていたんじゃないかな。「いつかは映画の世界に行ければいいな」と思いつつ、どこまで続いていたかも想像がつきません。そういう意味では、不採⽤で直々に是枝監督のお弟⼦さんにしていただいた⽅が映画の世界に近道だったから、ラッキーだったと思います。

最後に学⽣のうちにしておいた⽅がいいことがあれば教えてください。

⼿堅い就職に直結するように、学⽣のうちからトレーニングしてたり、就活に有利なようにしているのは⾵潮としてよく⽿にします。なんか、若いのにすごいね……(笑) 私は勉強もしないふざけた野郎だったからなあ。  でも学⽣時代はモラトリアムって⾔うじゃない? ⽉並みな表現だけど〈無駄なことをどれくらいやっとくか〉ってところが、いろんな人とのコミュニケーションを図る上でも後々効いてくると思いますよ。集中⼒や興味って、年と共に落ちていくから、情熱も。私も若いころは「⾃分は絶対枯れないぞ!」と思っていたけど。いま、古い映画を「ゼロから観直せ!」と⾔われると、結構キツい。やっぱり、頭が柔らくて体⼒があるときに、つまんないものも含めて、⾃分が興味あることがあるなら〈無駄と思わずに〉無駄を謳歌してほしいです。

(⽂・写真/⽮武兄輔)
©️ 2016 YBK3

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